不意に光が窓から差し込んできて、女の顔を刺した。昼時になり、太陽も昇りきったのだろう。女は鬱陶しげに目を細め、立ち上がって窓に近づいた。
この鉄格子もふざけている、と女は思う。いくら患者の安全のためでも、こんなものがはめられていては外を見ても気が滅入るだけだ。
鉄格子の隙間から覗くと、大通りの人混みがわずかに見えた。次から次へと押し寄せている人の波はひどく醜い。まるで盲目な獣のように、ただ一方向に進もうとしているのが伺える。
上に目をやれば、秋晴れの空が鉄格子の升目に多い被さってくる。美しい青が目に飛び込み、女はーー何故だか凶暴な感情に襲われた。
(たとえこの部屋を海の色に塗ることがあっても、この青だけは入れてやるものか!)
振り返れば、相変わらず眠っている男が目に入る。
「もう少しお待ち下さいね。必ずやここから出して差し上げます。そしたら……」
女の呟きは誰の耳にも届かなかった。

陽は既に傾いていた。行楽日和の一日も終わりを迎えようとしている。週末を飾るのにふさわしく、空は鮮やかな茜色に染まっていた。
女は自室の中心に突っ立っていた。空などには目もくれず、握りしめた数枚の紙を凝視している。今までにも同じ行為をしているため、手が掴んでいる部分はぼろぼろだった。
女は紙に書かれた文字を目で追う。飛び跳ねるような字体のひどくかすれた文字はぎっしりと紙面に詰め込まれており、一番下には男の名前のサインが入っていた。
女は尚も字を眺め続ける。読んでいるのではない、眺めているのだ。女には書かれた言葉が分からなかった。専門用語ばかりなのだから仕方ない。女はその文字の羅列を母語に変換する術を持っていない。
「ああ……」
 嘆息がこぼれる。女は、自分だけでは何もできないことを分かっていた。だからこそ、男を病院から引っ張り出そうとすらしているのだ。男が表舞台に返り咲き、彼の補佐として共に活動する『いつか』を女は待ち続けている。
窓から差し込んだ夕陽は部屋を、女を、真っ赤に燃やし尽くし、やがて日が沈むと部屋は深い闇に覆われた。
何も、見えない。



2010,09,29


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